**BLACK**


朝、君はあたしにコーヒーを入れる様に告げるとバスルームに籠った。
小さなアパートにはインスタントのドリップコーヒーしか置いてなかった。
あたしは一人暮らしには大き過ぎるやかんに塩素臭い水の注がれる音に目を閉じ、徐々に重くなるのを腕に感じると、水を止めた。
小さな仮設のガスコンロは、ゴムホースが焦げている。
君があたしにオムレツを作ってくれた日の、不器用な愛情の印。
水の温度の増す音は君の心臓の音に良く似ていた。
規則的な、冷たい音。だけど、心地よい。


バスルームのくもり窓には君が頭を洗う影。
宙になぞったその骨格を、愛おしく抱き締めて、あたしは火を弱めた。
またホースが焼けてしまう。


お湯が湧く瞬間のもったいぶった振動。
君は濡れた足で部屋に戻って来る。濡れた髪があたしを苛立たせる。
熱湯で入れたコーヒーを、髪が乾くまで放っておく君は、あたしに目をやることもなくテレビを付けた。


あたしは、君がテレビに見入るのが嫌いだ。ただ、君はそれを知らない。
君の興味を奪うすべてのものがあたしを苛立たせる。
あたしは、キッチンに置かれた足の届かない高い椅子に座り、君を眺める。
君はテレビの無責任なアナウンサーを眺める。


手元に置かれたコーヒーを思い出し、口を付けた君は、やっとあたしを振り向いて笑う。



おいしいよ。




あたしは、きっとずっと君の為にコーヒーをいれる。
苛立った気持ちを、君が不味いと思うまで。

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